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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4.4点
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自筆「源氏物語」の「夕霧(ゆうぎり)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。夕霧、女二の宮 落葉の宮 素早く 朱雀天皇の皇女 に後朝。
「夕霧の巻」の主人公「夕霧」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う柏木として描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 多国籍企業の新展開 追いつめられる国家主権 (1973年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 サンドロ・ボッティチェルリ (1977年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 教育人間学 人間生成としての教育 (1961年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 塚原琢哉による触覚的空間「白いあそび」 (1973年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 エセーニンの生涯 (1974年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 葡萄唐草 シルク・ロード幻想 (1968年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 唐代の詩と散文 (1967年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 かざし抄新注 (1973年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 明治武道史 史料 (1971年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 多国籍企業の史的展開 植民地時代から1914年まで (1973年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。洗心洞箚記 2冊【上/下巻】+洗心洞箚記附録抄 金 計3冊セット 【蔵印有】。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 生きることの意味 (1978年) (人生の本)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 日本機業史 (1961年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 詩心私語 (1973年) (人と思想)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 コイナさん談義 (1963年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 無盡藏 (1974年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。
出品した「源氏物語」は夕霧(ゆうぎり)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。「夕霧」の巻名は、夕霧が柏木の正室(朱雀院の姫君・女二の宮)落葉の宮に書き送った和歌「山里のあわれをそうる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」による。【中古】 みその本 (1972年)。源氏の君と葵の上の長男・夕霧は、病にふせる柏木を見舞う場面は、国宝「源氏物語絵巻」に美しい画像として描かれている。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。柏木は、自分がなきあとの正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の行く末を案じ、友人の夕霧に遺言として女二の宮の後事を託す。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。柏木なきあと、落葉の宮と称される女二の宮の世話をするために法事の世話などの用事にかけつけて落葉の宮をあう。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。そこで、恋心がつのった夕霧は、落葉の宮との結婚を願うようになる。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。夕霧と会う落葉の宮を心配する母の一条御息所は、心配のあまり夕霧に手紙を送る。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。だが、その手紙は夕霧の正室・雲井雁の発覚によって夕霧に渡ることはなかった。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。娘・落葉の宮の出家の希望を聞いた父・朱雀院(前朱雀天皇)は、一条宮の邸に連れ戻される。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。しかし、夕霧の希望により落葉の宮との対面の機会が生まれ、二人は婚儀を行なう。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。源氏の君と紫の上はこれも運命と考え忠告するのを控える。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。夕霧と結婚した落葉の宮は、その後、多くのこどもを授かり幸福な時を過ごす。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。
自筆上部の「人非木石皆有情」人木石に非ざれば皆情あり「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 ノックの音が (1965年)。夕霧の巻の一節「岩木よりけになびきがたきは、契りとうてにくしなど思うやうあなるを」の一文による。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。夕霧の巻の原詩は「木石」であり、夕霧の巻は「岩木」であるが、古来「白氏文集」に由来されているとされる。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
「夕霧」の巻は英文で「Evening Mist」と表記されます。【中古】 社会史入門 (1972年)。
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)漢詩の落款が押捺。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。夕霧の原文に引用されている。【中古】 天皇さま (1975年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。)
「自筆原本」
自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。
自筆上部の「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 僑人の檻 (1968年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・夕霧の原文に引用されている。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。》
《ひと(一)つにあひて、い》・・・と、たうと(尊)くきこゆ。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。
ところから、よろつの事、心細う見なさるゝも、あはれに、
物、思ひ續けらる。【中古】 心経随喜 (1968年)。いて給はん心ちもなし。【中古】 動物の生態 (1978年)。律師、加持する
音して、陀羅尼、いと、たふとく讀むなり。【中古】 企業行動とコンフリクト (1972年) (企業行動コンファレンス報告 2 )。
「いと、くるしけにし給ふなり」
とて、人々も、そなたに集ひて、おほかたも、かゝる旅所に、
あまた參らさりけるに、いとゝ、人すくなにて、宮は、なかめ給へり。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。
しめやかにて、「思ふこともうち出てつへき折かな」
と、思ひ居給へるに、霧の、たゝ、此(この)のき(軒)のもとまて立ち渡れは、
「まかんむかたも見えす成(なり)ゆくは。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。いかゝすへき」
とて、・・・《山さと(里)のあはれをそふる》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 メディアの政治 (1974年)。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《「夕霧の巻」冒頭の貴重書》
《夕霧、恋する女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)と御簾(みす)越しにお話しになられる》
《まことに涼しそうに聞え、山から吹きおろす風も心にしみてもの寂しく、
松風の響きが深い木立一面に聞えたりなどして、不断の経を読む交替の時がきて
鐘(かね)を打ち鳴らすと、座を立つ僧の声と入れ代ってすわる僧と、
声も一つになって、》・・・・まことに尊く聞える。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。場所が場所とてすべて心細く思われてくる。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。
それにつけても、大将(夕霧)はしみじみとした感慨にひたらずにはいらっしゃれない。【中古】 アルセーニエフの青春 (1975年) (エトランジェの文学)。
もうここをお立ち出でになる気持にもならないのである。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。
律師も、加持をする音がして、陀羅尼(だらに)をまことに尊い声で読誦(どくじゆ)する様子である。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。
一条御息所(みやすどころ)が、まことにおくるしみの由(よし)とて、女房たちもそちらに集まり、
もともとこうした仮住いには、供人もそう大勢まいってはいなかったのだから、
こちらはいっそう人けも少なくい。【中古】 日本歌曲のうたい方 (1973年)。
宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)は虚(うつ)けたような御面持(おももち)でおられる。【中古】 ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ (1974年)。
あたりもしめやかなので、大将(夕霧)が宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)に
胸中を打ち明けるのにまたとない機会ではないかと思いながらすわっていらっしゃる。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。
すると、折から霧がすぐこの軒下まで立ちこめてくるので、
(夕霧)「お暇(いとま)をして帰る道も見えなくなってゆきますが。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。どうしたものでございましょう」
とおっしゃったあと、・・・・・・
《(夕霧)「山里の寂しい思いをつのらせる夕霧が立ちこめて、
どちらの空に向って立ち出でてよいものか、おそばを去ることもならぬ心地でございます」
とお申しあげになる。【中古】 請求権競合論 (1978年)。》
備考・落葉の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。柏木は生前、友人の夕霧に落葉の宮の行く末を遺言として託していた。【中古】 文章と表現 (1975年)。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。
《Evening Mist (夕霧)》
Every detail strengthened the spell that was falling over him.
He wanted to stay on and on.
The voice of the priest who had come down from the
mountain was grander and more solemn than the rest.
Someone came to inform them that the princess's
mother was suddenly in great pain.
Women rushed to her side, and so the princess,
who had brought few women with her in any event, was almost alone.
She said nothing.
The time for an avowal seemed to have arrived.
A bank of mist came rolling up to the very eaves.
"What shall I do?" he said. "The road home is blocked off.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《夕霧》
夕霧身在其,但所所,无不凄凉人,
便感慨,耽入思,竟不想回家去
了。【中古】 世界の子供たち 写真集 (1979年)。律正在祈祷,念陀尼之声十分庄。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。
忽侍女相告:老夫人病状不佳。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。
大家就聚集到病房中去了。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。旅居之所,侍女本来不多,
此公主身侍女少,公主只是独坐思,
四周静无声。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。夕霧得披露心事的机到了。【中古】 教育の適切性 (1972年)。忽然夜霧四起,
封窗。【中古】 美の思索家たち (1967年)。他便叫道:“途方向也迷失了,
如何是好?”接着吟云:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」夕霧の巻の末尾(原本番号57-A)の押印。【中古】 総評二十年史 (1974年)。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。
冬姫は通称。【中古】 SSーGB (1980年) (Hayakawa novels)。正式な名は伊達貞子。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。左端の写真は「夕霧の巻」末尾の拡大写真。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。
左上は、「人非木石皆有情」の印。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(夕霧の巻)MRI 39―6B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「夕霧の巻」主人公・夕霧の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる夕霧。【中古】 誰も書かなかった贈与税 あなただけの プラン (1979年) (税研ブックス)。
病床の柏木を見舞う夕霧。【中古】 浦和のあゆみ (1974年)。左が柏木、右が夕霧。【中古】 学校教師論 教育の名著 (1975年)。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 躾の時期。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。b■* 神社祭式 式部寮 木版刷 彩色絵入 和本 /b21。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 青年の心理 (1973年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 指導のための地図の理解 (1974年) (社会科における理論と実践シリーズ 3 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 かわら日本史 (1972年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 都市近郊 武蔵野の変容 (1969年) (グローバル・シリーズ)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 わが愛と叛逆 (1969年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 物類品 (1972年) (生活の古典双書 2 )。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 サラブレッドの世界 (1971年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 産業史における労働組合機能 イギリス機械工業の場合 (1970年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 現代日本の政治体制 (1969年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 東西文明の交流 1 漢とローマ (1970年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 教育的解釈学・国語教育論 (1973年) (国語教育名著選集 1 )。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 武道初心集 (1963年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 絵と音楽の対話 名画にみる楽器 (1977年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。清宮秀堅編『近古詩鈔』(全3巻4冊揃)明治6年 玉山堂刊 千葉県香取郡佐原生の国学者が編んだ漢詩集 明治時代和本。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 ワイマール共和制の成立 (1980年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 近代民衆教育史 国民教育への道 (1971年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 絵画の彼岸 (1975年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 日本現代舞踊年鑑 昭和49年度 (1975年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 高麗陶磁の研究 (1972年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 パック 高度生産性の秘密 (1970年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 新しい聞き手の文法 (1978年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 現代民主主義国家 (1969年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 封建社会 2 (1977年)。幼名は多治丸。【中古】 対話の奇跡 (1970年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 建設省三十年史 (1978年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 北の工芸 (1975年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 日本の女性史 第5巻 維新開化と女性 (1975年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。太宰治全集 全 10 <ちくま文庫>。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 トランジスタ回路演習 (1968年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 ステレオ 聴く人の創意とよろこび (1968年)。
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