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メーカー直売 - 人気ランキング 源氏の君と女三の宮 きよ 前朱雀天皇の皇女,源氏の君の正室 の子 和書の詳細情報

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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「我君不遊有深意」漢詩文の落款

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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断層画像写真

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明石女御の出産(御帳台の中)復元模型

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右が紫の上、左が女三の宮の模型

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左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻)

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。


 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。二月に女三宮が六条院に降嫁した。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。》

「額縁入自筆原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。

自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》

《おほけなき》・・・・心にしもあらねと、
「み(見)たてまつるおり(折)ありなんや」
と、ゆかしく思ひきこえ給(たまひ)けり。
[13-3 柏木、女三の宮に執心]
衛門のかん(督)のきみ(君)も、 院に常に参り、親しくさふらひ
馴れたまひし人なれは、この宮を父帝のかしつきあかめたてまつりたまひし
御心おきてなと、詳しく見たてまつりおきて、さまさまの御定めありし
ころほひより聞こえ寄り、院にも、「めさましとは思し、のたまはせす」
と聞きしを、かくことさまになりたまへるは、いと口惜しく、
胸いたき心地すれは、なほえ思ひ離れす。
そのおり(折)よりかた(語)らひつきにける
女房のたよりに、・・・・《御ありさまなと》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》

 《源氏の君、皇太子と明石女御の若君を大切にする紫の上について明石の君に話をする》

《大将の君(夕霧)、女三の宮(前朱雀天皇の皇女)と紫の上を比較して見る》

《この宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)は、ご身分のほどを考えても格別のお生れで
いらっしゃるのに、とりわけ殿(源氏の君)のご寵愛があるでもなく、世間の手前をつくろって
いらっしゃるだけではないか、と内情をお分り申している。それにつけても、
特に大それた》・・・・・野心からというのではないけれども、いつかお目にかかる機会が
ありはしないだろうか、と大将の君(夕霧)は思いをお寄せ申すのであった
《三十五・猫が簾をひき開けその隙間から女三の宮の美しさに気づく柏木》
衛門督の君(柏木)も朱雀院に常々参上し、いつも親しく伺候していらっしゃった人なので、
この宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)を父帝(前朱雀天皇)が大事にお育て申しあそばした、
そのお心づもりなどを詳しく存じあげていた。
そのころ、衛門督の君(柏木)にあれこれのご縁談のお取決めのあった時分から、
衛門督の君(柏木)も意中を申し出ていて、院(源氏の君)におかれても別にお気に
召さぬことと仰せになったわけではないと聞いていた。
それなのに、院(源氏の君)の許にこの宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)が降嫁されるという
このように思惑ちがいのことにおなりになったのは、まことに残念で胸も痛むような
心地がして、衛門督の君(柏木)は、いまだにあきらめられないでいる。
衛門督の君(柏木)は、その時分からなじみになっていた女房のつてで、・・・・
《宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)のご様子などを伝え聞くのを心の慰めにしていた。》

備考・女三の宮(前朱雀天皇の皇女)と紫の上(桐壺天皇の兄、式部卿の親王)は、従姉妹関係の皇族にあたる。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《New Herbs Part One(若菜・上)》
Yugiri was not exactly consumed with longing and curiosity,
but he did hope that he might sometime have a glimpse of her too.
A frequenter of the Suzaku Palace, Kashiwagi had known
all about the Third Princess and the Suzaku emperor's worries.
He had offered himself as a candidate for her hand.
His candidacy had not been dismissed, and then,
suddenly and to his very great disappointment, she had gone to Genji.
He still could not reconcile himself to what had happened.
He seems to have taken some comfort in exchanging reports
with women whom he had known in her maiden days.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《若菜・上》
夕有此感想,然不敢生非礼之念,但得三公主深可怜,
指望有一面。再那个柏木督,一向常在朱雀院邸内出入,
与朱雀院十分昵,因此了解他疼三公主的心情。
朱雀院替三公主婿,柏木知消息,自己也曾提出求婚,
朱雀院并不不当。后来三公主于嫁了源氏,柏木大失望,
心中十分悲,直到如今不能忘。他那曾央三公主的侍女小侍从替他撮合,
在就从侍女那里探三公主的情况,聊以自慰,


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・上の巻」原本の末尾(原本番号108-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―97B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」

1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵

猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面


上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

漢詩文原本自筆上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の「離宮高」の漢詩に由来するものです。「若菜・上」の巻では、冷泉天皇が源氏の君の四十の賀にかこつけて、源氏の君の許に「行行」をしたいと思うが、これを聞いた源氏の君が辞退を申し出る。自体の理由は、天皇の行幸には莫大な支出が伴うため、庶民の財を費やすことになるので天皇の行幸をいさめたものである。原文の漢詩は、「白氏文集」の漢詩で、白氏は「天子(皇帝)の人(たみ)の財力を重惜するを美(ほ)むるなり」との名言を残している。源氏の君は、天皇が源氏の君を訪ねるために「世間の迷惑となるようなことをなさいませんように」という意味で語りかけたものです。紫式部は「若菜・上の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

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。夕霧、小野の里の宮 女二の宮 朱雀天皇の皇女 の邸の妻戸に。【中古】 葡萄唐草 シルク・ロード幻想 (1968年)。【中古】 唐代の詩と散文 (1967年)。【中古】 かざし抄新注 (1973年)。【中古】 明治武道史 史料 (1971年)。【中古】 多国籍企業の史的展開 植民地時代から1914年まで (1973年)。洗心洞箚記 2冊【上/下巻】+洗心洞箚記附録抄 金 計3冊セット 【蔵印有】。【中古】 生きることの意味 (1978年) (人生の本)。【中古】 日本機業史 (1961年)。【中古】 詩心私語 (1973年) (人と思想)。【中古】 コイナさん談義 (1963年)。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。【中古】 無盡藏 (1974年)。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。【中古】 みその本 (1972年)。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。【中古】 ノックの音が (1965年)。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。【中古】 社会史入門 (1972年)。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。【中古】 天皇さま (1975年)。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。【中古】 僑人の檻 (1968年)。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。【中古】 心経随喜 (1968年)。【中古】 動物の生態 (1978年)。【中古】 企業行動とコンフリクト (1972年) (企業行動コンファレンス報告 2 )。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。【中古】 メディアの政治 (1974年)。【中古】 武器なき民衆の抵抗 その戦略論的アプローチ (1972年)。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。【中古】 アルセーニエフの青春 (1975年) (エトランジェの文学)。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。【中古】 日本歌曲のうたい方 (1973年)。【中古】 ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ (1974年)。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。【中古】 請求権競合論 (1978年)。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。【中古】 文章と表現 (1975年)。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。【中古】 花粉学研究 (1978年)。【中古】 大図説世界の木材 木と人間の文化誌 (1979年)。【中古】 世界の子供たち 写真集 (1979年)。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。【中古】 教育の適切性 (1972年)。【中古】 美の思索家たち (1967年)。【中古】 総評二十年史 (1974年)。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。【中古】 SSーGB (1980年) (Hayakawa novels)。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。【中古】 組織社会の論理構造 退出・告発・ロイヤルティ (1975年)。【中古】 矢臼別物語 連作版画 (1974年)。【中古】 ファシズムの時代 上 ヨーロッパ諸国のファシズム運動 1919-1945 (1972年)。【中古】 憲法の階級性と普遍性 (1975年)。【中古】 参考図書の選び方 (1979年)。【中古】 現状打破の経営哲学 新時代の管理者像 (1969年)。【中古】 誰も書かなかった贈与税 あなただけの プラン (1979年) (税研ブックス)。【中古】 浦和のあゆみ (1974年)。【中古】 学校教師論 教育の名著 (1975年)。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。【中古】 洋酒全書 (1975年)。【中古】 強制収容所における「生」 (1974年)。【中古】 仏教と社会の諸問題 (1970年)。【中古】 八面体質診断学 2 (1978年)。【中古】 ドイツ教育史 思想史的・社会史的考察 (1979年)。【中古】 デシジョン・テーブル ─テーブル化による思考整理学 (1972年)。【中古】 魚肉ねり製品 理論と応用 (1974年)。【中古】 イメージとシンボル (1971年)。『大工雛形』(2冊)須原屋治右衛門板 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 木工雛形書。【中古】 国籍と人権 (1975年)。写本 御上洛二図 善悪道中独案内 嘉永2年 天理教 神道 儒学 仏教 徳川幕府  検)将軍 古書和書古本古文書 NS。【中古】 民族と文化 上 (1970年)。【中古】 国際政治 下 (1973年)。【中古】 バラック浄土 (1982年)。【中古】 アメリカ教育文化史 (1977年)。【中古】 楽園からの最後の言葉 (1979年)。【中古】 独占とマーケティング (1973年)。【中古】 美の座標 (1973年)。【中古】 躾の時期。b■* 神社祭式 式部寮  木版刷 彩色絵入 和本 /b21。【中古】 青年の心理 (1973年)。【中古】 指導のための地図の理解 (1974年) (社会科における理論と実践シリーズ 3 )。【中古】 かわら日本史 (1972年)。【中古】 イタリア文学史 2 ルネサンス (1973年)。【中古】 日本の飲酒を考える (1975年)。【中古】 都市近郊 武蔵野の変容 (1969年) (グローバル・シリーズ)。【中古】 わが愛と叛逆 (1969年)。【中古】 物類品 (1972年) (生活の古典双書 2 )。【中古】 サラブレッドの世界 (1971年)。【中古】 産業史における労働組合機能 イギリス機械工業の場合 (1970年)。【中古】 現代日本の政治体制 (1969年)。K90K2-231128 レア[肥前国神崎荘資料 荘園史料叢書 瀨野精一郎]長秋記 大政官符案。【中古】 法人類学入門 (1974年)。【中古】 指揮法 (1968年)。【中古】 政治権力と人間の自由 (1971年)。【中古】 羅西日辞書 (1979年)。【中古】 現代陶芸の旅 作家名鑑 (1971年)。【中古】 東西文明の交流 1 漢とローマ (1970年)。【中古】 教育的解釈学・国語教育論 (1973年) (国語教育名著選集 1 )。【中古】 武道初心集 (1963年)。【中古】 絵と音楽の対話 名画にみる楽器 (1977年)。清宮秀堅編『近古詩鈔』(全3巻4冊揃)明治6年 玉山堂刊 千葉県香取郡佐原生の国学者が編んだ漢詩集 明治時代和本。【中古】 ワイマール共和制の成立 (1980年)。【中古】 近代民衆教育史 国民教育への道 (1971年)。【中古】 絵画の彼岸 (1975年)。【中古】 日本現代舞踊年鑑 昭和49年度 (1975年)。【中古】 高麗陶磁の研究 (1972年)。【中古】 パック 高度生産性の秘密 (1970年)。【中古】 新しい聞き手の文法 (1978年)。【中古】 現代民主主義国家 (1969年)。【中古】 封建社会 2 (1977年)
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