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人気ランキング 我君不遊有深意」という漢詩文の元になる原文・秋好 和書の詳細情報

我君不遊有深意」という漢詩文の元になる原文・秋好。王福厂隸書宋元四家詩| Wang Fu'an, Poems in Lishu | Fine。81640VKBulS.jpg。お米 2キロ 白米 新潟産 コシヒカリ 農家直送。 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「我君不遊有深意」漢詩文の落款

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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断層画像写真

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源氏物語の楽器の演奏の場面の絵巻

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源氏の君の四十の賀の祝宴

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。原神】「寂々たる無妄の国」Disc 2 - 浮世の栄枯 - YouTube。

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 日本機業史 (1961年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 詩心私語 (1973年) (人と思想)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 コイナさん談義 (1963年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 無盡藏 (1974年)。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 みその本 (1972年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。


 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 ノックの音が (1965年)。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。【中古】 社会史入門 (1972年)。二月に女三宮が六条院に降嫁した。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。【中古】 天皇さま (1975年)。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。【中古】 僑人の檻 (1968年)。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。【中古】 心経随喜 (1968年)。》

「額縁入自筆原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 動物の生態 (1978年)。)

「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 企業行動とコンフリクト (1972年) (企業行動コンファレンス報告 2 )。

自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 メディアの政治 (1974年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 武器なき民衆の抵抗 その戦略論的アプローチ (1972年)。


《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。》

《たひたひになりぬれは、口》・・・・おしくおほ(思)しとまりぬ。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
師走の二十日余りのほとに、中宮まかてさせたまひて、
今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、
この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。【中古】 アルセーニエフの青春 (1975年) (エトランジェの文学)。
ありかたき御はくくみを思し知りなから、 何ことにつけてか、
深き御心さしをもあらはし御覧せさせたまはむとて、
父宮、母御息所のおはせまし御ための心さしをも取り添へ思すに、
かくあなかちに、おほやけ(朝廷)にもき(聞)こえかへ(返)させ
給(たま)へは、ことゝもおほ(多)くとゝめさせ給(たまひ)・・・《つ。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。【中古】 日本歌曲のうたい方 (1973年)。


《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《秋好中宮が源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》
《「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の元になる個所》

《帝(冷泉天皇)は、今年のこの源氏の君の四十の御賀に事寄せては、
行幸などもなさりたいとご計画あそばしたのであったが、殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「世間の迷惑になるようなことは、けっしてなさいませんように」
と、たびたびご辞退申されたので、》・・・・帝(冷泉天皇)は四十の御賀への行幸は
残念ながらお思いとどまりになった。【中古】 ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ (1974年)。》
〔二十二・秋好中宮、源氏の君の饗宴を開催する〕 
十二月の二十日過ぎのころ、中宮(秋好中宮)が宮中よりご退出あそばして、
今年の残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布四千反、
この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けてご奉納になられる。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。
またとないご養育のご恩を十分お分りになっていらっしゃりながら、
今まで格別のこもせずに過してこられたので、この機会をはずしてはなんの折に
深い感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思いになって、
父宮(前の皇太子)と母御息所(六条の御息所)がもしご存命であったなら
こうもしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えになって、
盛大にとお考えであるが、院の殿(源氏の君)が帝(冷泉天皇)に対してさえもこうして
強くご辞退申しあげなさったのであるから、あれこれのご計画を
大部分おとりやめになったのである。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。殿(源氏の君)からも、・・・・
《(源氏の君)「四十の賀ということは、先例を耳にしましても、そのあと残りの齢を
いつまでも保つ例はそう多くなかったのですから、》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 請求権競合論 (1978年)。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。【中古】 文章と表現 (1975年)。


《New Herbs Part One(若菜・上)》
Back at Rokujo towards the end of the year,
Akikonomu arranged the final jubilee observances,
readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital.
To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter
four hundred double bolts of silk.
She was much in Genji's debt, and never again would
she have such an opportunity to show her gratitude.
She wanted everything to be as her late mother and father would have had it;
but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes,
she limited herself to a small part of what she would have wished to do.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。


《若菜・上》
冷泉帝只得然作。【中古】 花粉学研究 (1978年)。
十二月二十后,秋好皇后六条院。【中古】 大図説世界の木材 木と人間の文化誌 (1979年)。
要在年父源氏祝寿,特奈良七大寺僧,
布施布匹四千段;又京都附近四十寺僧,布施四百匹。【中古】 世界の子供たち 写真集 (1979年)。
秋好皇后感源氏育之恩,欲乘此机会向他表示真的孝心。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。
又念父前皇太子及母六条妃子如果在世,一定也感他,
所以又着代父母祝寿之意。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。但源氏朝廷的祝寿也曾固辞,
故秋好皇后不便,只得将多原定去。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。
源氏道:“我考前代事例,


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・上の巻」原本の末尾(原本番号108-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。【中古】 教育の適切性 (1972年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 美の思索家たち (1967年)。
冬姫は通称。【中古】 総評二十年史 (1974年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。2つとも貞子の印。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【中古】 SSーGB (1980年) (Hayakawa novels)。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 組織社会の論理構造 退出・告発・ロイヤルティ (1975年)。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。【中古】 矢臼別物語 連作版画 (1974年)。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。【中古】 ファシズムの時代 上 ヨーロッパ諸国のファシズム運動 1919-1945 (1972年)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。【中古】 憲法の階級性と普遍性 (1975年)。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。【中古】 参考図書の選び方 (1979年)。上下2段の花押のうち、上の印は。【中古】 現状打破の経営哲学 新時代の管理者像 (1969年)。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」

1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 誰も書かなかった贈与税 あなただけの プラン (1979年) (税研ブックス)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵

猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面


上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。【中古】 浦和のあゆみ (1974年)。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【中古】 学校教師論 教育の名著 (1975年)。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。

漢詩文原本自筆上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 洋酒全書 (1975年)。この漢詩は「白氏文集」の「離宮高」の漢詩に由来するものです。【中古】 強制収容所における「生」 (1974年)。「若菜・上」の巻では、冷泉天皇が源氏の君の四十の賀にかこつけて、源氏の君の許に「行行」をしたいと思うが、これを聞いた源氏の君が辞退を申し出る。【中古】 仏教と社会の諸問題 (1970年)。自体の理由は、天皇の行幸には莫大な支出が伴うため、庶民の財を費やすことになるので天皇の行幸をいさめたものである。【中古】 八面体質診断学 2 (1978年)。原文の漢詩は、「白氏文集」の漢詩で、白氏は「天子(皇帝)の人(たみ)の財力を重惜するを美(ほ)むるなり」との名言を残している。【中古】 ドイツ教育史 思想史的・社会史的考察 (1979年)。源氏の君は、天皇が源氏の君を訪ねるために「世間の迷惑となるようなことをなさいませんように」という意味で語りかけたものです。【中古】 デシジョン・テーブル ─テーブル化による思考整理学 (1972年)。紫式部は「若菜・上の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。【中古】 魚肉ねり製品 理論と応用 (1974年)。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。【中古】 イメージとシンボル (1971年)。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。『大工雛形』(2冊)須原屋治右衛門板 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 木工雛形書。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。【中古】 国籍と人権 (1975年)。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。写本 御上洛二図 善悪道中独案内 嘉永2年 天理教 神道 儒学 仏教 徳川幕府  検)将軍 古書和書古本古文書 NS。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。【中古】 民族と文化 上 (1970年)。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。【中古】 国際政治 下 (1973年)。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。【中古】 バラック浄土 (1982年)。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。【中古】 アメリカ教育文化史 (1977年)。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。【中古】 楽園からの最後の言葉 (1979年)。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 独占とマーケティング (1973年)。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 美の座標 (1973年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 躾の時期。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。b■* 神社祭式 式部寮  木版刷 彩色絵入 和本 /b21。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 青年の心理 (1973年)。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。【中古】 指導のための地図の理解 (1974年) (社会科における理論と実践シリーズ 3 )。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。【中古】 かわら日本史 (1972年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 イタリア文学史 2 ルネサンス (1973年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 日本の飲酒を考える (1975年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 都市近郊 武蔵野の変容 (1969年) (グローバル・シリーズ)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 わが愛と叛逆 (1969年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 物類品 (1972年) (生活の古典双書 2 )。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 サラブレッドの世界 (1971年)。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。【中古】 産業史における労働組合機能 イギリス機械工業の場合 (1970年)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。【中古】 現代日本の政治体制 (1969年)。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。K90K2-231128 レア[肥前国神崎荘資料 荘園史料叢書 瀨野精一郎]長秋記 大政官符案。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。【中古】 法人類学入門 (1974年)。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。【中古】 指揮法 (1968年)。額縁は新品です。【中古】 政治権力と人間の自由 (1971年)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 羅西日辞書 (1979年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 現代陶芸の旅 作家名鑑 (1971年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 東西文明の交流 1 漢とローマ (1970年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 教育的解釈学・国語教育論 (1973年) (国語教育名著選集 1 )。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 武道初心集 (1963年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 絵と音楽の対話 名画にみる楽器 (1977年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。清宮秀堅編『近古詩鈔』(全3巻4冊揃)明治6年 玉山堂刊 千葉県香取郡佐原生の国学者が編んだ漢詩集 明治時代和本。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 ワイマール共和制の成立 (1980年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 近代民衆教育史 国民教育への道 (1971年)。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 絵画の彼岸 (1975年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 日本現代舞踊年鑑 昭和49年度 (1975年)。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 高麗陶磁の研究 (1972年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 パック 高度生産性の秘密 (1970年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 新しい聞き手の文法 (1978年)。幼名は多治丸。【中古】 現代民主主義国家 (1969年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 封建社会 2 (1977年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 対話の奇跡 (1970年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 建設省三十年史 (1978年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 北の工芸 (1975年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 日本の女性史 第5巻 維新開化と女性 (1975年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。太宰治全集 全 10 <ちくま文庫>。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。【中古】 トランジスタ回路演習 (1968年)。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 風をたずさえて (1977年) (New music personal books)。


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