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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 詩心私語 (1973年) (人と思想)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 メディアの政治 (1974年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。あやしう、おとこ(男)女に
つけつゝ、人に物を思はするかん(尚侍)のきみ(君)にそおはしける。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。
(真木柱の姫君)こんなふうに自由にふるまうことのできる男の身に
どうして生れてこなかったのだろう」
と嘆いていらっしゃる。【中古】 花粉学研究 (1978年)。
その年の十一月に、尚侍の君(玉鬘の姫君)はまことにみごとなお子までも
お産みになったので、大将(髭黒大将)もこれで思いどおりになって申し分ないことと、
この若君(玉鬘の姫君の御子)をこのうえなく大事にしておられる。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。
この尚侍の君(玉鬘の姫君)は、内大臣が格別たいせつにしていらっしゃる
女君(弘徽殿女御)たちにも、ご容姿などは少しも負(ひ)けをおとりにならない。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
Her brothers went home frequently and of course brought back
reports of his new lady.
"She seems very nice. She is always thinking of new games."
She longed to go with them.
Boys were the lucky ones, free to go where they pleased.
Tamakazura had a strange talent for disturbing people's lives.
In the Eleventh Month she had a son, a very pretty child.
Higekuro was delighted.
The last of his hopes had been realized.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
也奇怪,不男女,都要玉鬘而用心思。【中古】 SSーGB (1980年) (Hayakawa novels)。
此中消息,不作者述,者自能想。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 参考図書の選び方 (1979年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 物類品 (1972年) (生活の古典双書 2 )。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 日本現代舞踊年鑑 昭和49年度 (1975年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 新しい聞き手の文法 (1978年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 対話の奇跡 (1970年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 日本の女性史 第5巻 維新開化と女性 (1975年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 風をたずさえて (1977年) (New music personal books)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。祇園祭礼信仰記 松永大膳 宝暦7年 中邑阿契 浄瑠璃歌舞伎 金閣寺 豊臣秀吉 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 女のいる群像 (1977年) (ハヤカワ・リテラチャー)。
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。源氏物語の世界~真木柱⑤~玉鬘、髭黒邸へ | この季節この1枚。
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 生きることの意味 (1978年) (人生の本)。【中古】 日本機業史 (1961年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 コイナさん談義 (1963年)。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。【中古】 無盡藏 (1974年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。【中古】 みその本 (1972年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第31帖。【中古】 ノックの音が (1965年)。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。【中古】 社会史入門 (1972年)。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。【中古】 天皇さま (1975年)。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。白楽天の有名な漢詩です。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。【中古】 僑人の檻 (1968年)。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載。【中古】 心経随喜 (1968年)。【中古】 動物の生態 (1978年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 アルセーニエフの青春 (1975年) (エトランジェの文学)。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《かん(尚侍)の君の御》・・・・・ありさま(有様)なとをも、
をのつからこと(事)にふれてうちかた(語)りて、
「まろらをもらうたくなつか(懐)しうなんしたま(給)ふ。
明く(暮)れおかしきこと(事)をこの(好)みてし給ふ」
なとい(言)ふに、うらや(羨)ましう、かやうにてもやす(安)らかに
ふるまふ身ならさりけんをなけき給ふ。【中古】 日本歌曲のうたい方 (1973年)。【中古】 ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ (1974年)。
その年の十一月に、いとおかしきちこ(児)をさへいた(抱)き
出給へれは、大将も、思ふやうにめてたし、と、
もてかしつきたま(給)ふこと(事)かき(限)りなし。
そのほと(程)のありさま(有様)は、
い(言)はすともおも(思)ひ・・・・《やりつへき》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。【中古】 請求権競合論 (1978年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《玉鬘の姫君、髭黒大将の若君を出産》
《姫君(真木柱の姫君)ご自身は、この父君(髭黒大将)をどなたもが
容赦(ようしゃ)なくおうらみ申して、ますます遠ざけるようにばかりなさるので
、幼いお胸の中に心細く悲しく思っておられるが、姫君(真木柱の姫君)の
弟の男君(髭黒大将)たちが父君のもとにいつも参上しているので、
尚侍の君(玉鬘の姫君)の》・・・・・お人柄などについても、しぜんと何かの折には話題にして、
(真木柱の姫君の弟)「私たちをもかわいがってやさしくしてくださいます。
あのお方は、明け暮れ風情(ふぜい)あるおもしろいことを好まれてお暮しです」
などと言うので、姫君(真木柱の姫君)は弟君たちをうらやましく思う。【中古】 文章と表現 (1975年)。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。どうしたわけなのであろう。
男にも女にも、人に物思いをさせる尚侍の君(玉鬘の姫君)ではいらっしゃるのだった。【中古】 大図説世界の木材 木と人間の文化誌 (1979年)。【中古】 世界の子供たち 写真集 (1979年)。
その間のいきさつは、ことさら言わずとも十分察しの・・・・・《つくことではある。
尚侍の君(玉鬘の姫君)の父の内大臣も、しぜんこの女君(玉鬘の姫君)に
願ったりかなったりのご運が向いてきたと満足していらっしゃる。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《真木柱》
喜有趣的事,天天很快活。”女公子很羡慕他,
自命苦:“我恨不得身男子,像弟弟一自由往来。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。
是年十一月,玉鬘居然生了一个非常可的男孩。
髭黑大将得如意称心,喜无量,
便尽心竭力地母子二人。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。【中古】 組織社会の論理構造 退出・告発・ロイヤルティ (1975年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 ファシズムの時代 上 ヨーロッパ諸国のファシズム運動 1919-1945 (1972年)。【中古】 憲法の階級性と普遍性 (1975年)。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―38A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 かわら日本史 (1972年)。【中古】 イタリア文学史 2 ルネサンス (1973年)。白楽天の有名な漢詩です。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 都市近郊 武蔵野の変容 (1969年) (グローバル・シリーズ)。【中古】 わが愛と叛逆 (1969年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 サラブレッドの世界 (1971年)。【中古】 産業史における労働組合機能 イギリス機械工業の場合 (1970年)。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。K90K2-231128 レア[肥前国神崎荘資料 荘園史料叢書 瀨野精一郎]長秋記 大政官符案。【中古】 法人類学入門 (1974年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 政治権力と人間の自由 (1971年)。【中古】 羅西日辞書 (1979年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 近代民衆教育史 国民教育への道 (1971年)。【中古】 絵画の彼岸 (1975年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 高麗陶磁の研究 (1972年)。【中古】 パック 高度生産性の秘密 (1970年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 現代民主主義国家 (1969年)。【中古】 封建社会 2 (1977年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 建設省三十年史 (1978年)。【中古】 北の工芸 (1975年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。太宰治全集 全 10 <ちくま文庫>。【中古】 トランジスタ回路演習 (1968年)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 負けてたまるか! (1972年)。【中古】 ステレオ 聴く人の創意とよろこび (1968年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 解析入門 第2 (1969年)。【中古】 有効競争の理論 (1970年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定
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