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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4点
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自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 無盡藏 (1974年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 みその本 (1972年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 ノックの音が (1965年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 社会史入門 (1972年)。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。第31帖。【中古】 天皇さま (1975年)。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。【中古】 僑人の檻 (1968年)。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 心経随喜 (1968年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 動物の生態 (1978年)。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。【中古】 企業行動とコンフリクト (1972年) (企業行動コンファレンス報告 2 )。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。【中古】 メディアの政治 (1974年)。詳細な理由は下記説明欄に記載。【中古】 武器なき民衆の抵抗 その戦略論的アプローチ (1972年)。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 請求権競合論 (1978年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《やす(安)かるましき》・・・・・わさ成けり。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。いま(今)は
なに(何)ゝつけてか心をもみた(乱)らまし、に(似)けなき恋の
つまなりや、と、さましわひ給て、御こと(琴)か()き
な(鳴)らして、なつかしうひ(弾)きなし給しつま(爪)音、
思ひ出られ給ふ。【中古】 文章と表現 (1975年)。あつまのしら(調)へをすかゝきて、
「玉藻はなか(刈)りそ」とうた(謡)ひすさひ給ふも、
こひ(恋)しき人にみ(見)せたらは、
あはれす(過)くすましき御さま(様)なり。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。
うち(内)にも、ほのかに御らん(覧)せし御かたち(容貌)
ありさま(有様)を、御心にかけ給て、「あか(赤)も(裳)たれ
ひ(引)きいにしすかた(姿)を」と、にくけなるふる
こと(古言)なれと、御こと(言)くさ(種)になりてなん、
なか(眺)めさせ給ひける。【中古】 花粉学研究 (1978年)。御ふみ(文)は
忍ひ忍ひに・・・・・《ありけり》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 大図説世界の木材 木と人間の文化誌 (1979年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《源氏の君と玉鬘の姫君、手紙のやりとりで旧交を恋偲ぶ》
《帝(冷泉天皇)、女君(玉鬘の姫君)への恋情に思いくるしむ》
《その昔、朧月夜(おぼろづきよ)の尚侍の君を朱雀院(すざくいん)の母后が
無理に逢わせぬようになさったときのことなどをお思い出しになるが、
しかし今の場合はさしあたって目前のことゆえか、
世にまたとなく悲しさが身にしみるのであった。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。
(源氏の君)「多情な人間は、自ら求めて苦労の》・・・・・種をまくものよ。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。
いまさらなんのために心を乱すことがあろう。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。
あの人(玉鬘の姫君)はもう自分には似合わしくない恋の相手ではないか」
と、君(源氏の君)は、女君(玉鬘の姫君)あきらめようとなさっても、
それがおできになれないので、お琴をかき鳴らされると、あの女君(玉鬘の姫君)が
やさしくお弾(ひ)きになった爪音(つまおと)を思い出さずにはいらっしゃれない。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。
和琴(わごん)の調べをすががきにして、君(源氏の君)は、
(源氏の君)「玉藻(たまも)はな刈りそ」
と謡い興じていらっしゃるにつけても、その姿を恋しいあのお方に見せたら、
きっと心を動かされるにちがいないと思う御有様である。【中古】 教育の適切性 (1972年)。
《二十三・帝(冷泉天皇)、女君(玉鬘の姫君)への恋情に思いくるしむ》
帝(冷泉天皇)におかせられても、ほんのちらとごらんにあそばした
尚侍の君(玉鬘の姫君)のご器量や風情(ふぜい)をお心におとめになって、
(冷泉天皇)「赤裳(あかも)垂れ引きいにし姿を」
と、いかにも聞き苦しい古歌ではあるけれど、それが御口癖になって、
物思いに沈んでいらっしゃるのであった。【中古】 美の思索家たち (1967年)。
君(源氏の君)と女君(玉鬘の姫君)とのお便りの交換は
人目を忍び時々・・・・・《遣(つか)わされるのだった。【中古】 総評二十年史 (1974年)。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
Men of feeling did have a way of sowing bitter herbs.
He tried to make himself accept the plain facts,
that the lady was not a proper object for his affections
and that these regrets came too late.
He took out a japanese koto, and it too brought memories.
What a gentle touch she had had!
He plucked a note or two and, trying to make it sound
lighthearted, sang "The Jeweled Grasses" to himself.
It is hard to believe that the lady for whom he longed would not
have pitied him if she could have seen him.
Nor was the emperor able to forget the beauty
and elegance he had seen so briefly.
"Off she went, trailing long red skirts behind her."
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
从今以后,我不再做心之事了。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。况且恋情本是不有的。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。”
努力自制,十分痛苦,便取琴来,忽又想起玉鬘弦的指。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。
他就在和琴上作清,吟唱“藻不可根采”之歌。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。
其神之美,若教所恋之人了,怕不得不心。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。
冷泉帝自从一玉鬘芳容之后,心中念念不忘。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。
“衫子窈窕姿”那首俚俗的古歌,
成了他的口禅,使他日念。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。
他好几次地写信玉鬘。【中古】 組織社会の論理構造 退出・告発・ロイヤルティ (1975年)。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。【中古】 矢臼別物語 連作版画 (1974年)。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 ファシズムの時代 上 ヨーロッパ諸国のファシズム運動 1919-1945 (1972年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 憲法の階級性と普遍性 (1975年)。
冬姫は通称。【中古】 参考図書の選び方 (1979年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 現状打破の経営哲学 新時代の管理者像 (1969年)。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 洋酒全書 (1975年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―35A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 国籍と人権 (1975年)。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 サラブレッドの世界 (1971年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 産業史における労働組合機能 イギリス機械工業の場合 (1970年)。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 現代日本の政治体制 (1969年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。K90K2-231128 レア[肥前国神崎荘資料 荘園史料叢書 瀨野精一郎]長秋記 大政官符案。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 法人類学入門 (1974年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 指揮法 (1968年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 政治権力と人間の自由 (1971年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 東西文明の交流 1 漢とローマ (1970年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 教育的解釈学・国語教育論 (1973年) (国語教育名著選集 1 )。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 武道初心集 (1963年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 絵と音楽の対話 名画にみる楽器 (1977年)。撮影後、展示のために再表装をしております。清宮秀堅編『近古詩鈔』(全3巻4冊揃)明治6年 玉山堂刊 千葉県香取郡佐原生の国学者が編んだ漢詩集 明治時代和本。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 ワイマール共和制の成立 (1980年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 現代民主主義国家 (1969年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 封建社会 2 (1977年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 対話の奇跡 (1970年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 建設省三十年史 (1978年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 北の工芸 (1975年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 日本の女性史 第5巻 維新開化と女性 (1975年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。太宰治全集 全 10 <ちくま文庫>。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 トランジスタ回路演習 (1968年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 風をたずさえて (1977年) (New music personal books)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 負けてたまるか! (1972年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 ステレオ 聴く人の創意とよろこび (1968年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。祇園祭礼信仰記 松永大膳 宝暦7年 中邑阿契 浄瑠璃歌舞伎 金閣寺 豊臣秀吉 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 解析入門 第2 (1969年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 有効競争の理論 (1970年)。幼名は多治丸。【中古】 女のいる群像 (1977年) (ハヤカワ・リテラチャー)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 現代詩人論 (1975年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 見果てぬ夢 5 燕よ、なぜ来ない (1978年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 自閉症の実践教育 (1974年) (心身障害教育シリーズ)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 日本人の体力標準値 (1975年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 ヨーロッパの闇と光 (1970年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 音楽工学 (1969年)。
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