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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 無盡藏 (1974年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 みその本 (1972年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。春情花戯夜 上中下3冊 拾寶呂月3冊 合計6冊セット天保年 木版画 江戸時代開版 木版手摺り草子本 古書!。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。『新編拾遺大工規矩尺集』(全3冊揃)明治37年 須原屋鈴木荘太郎刊 江戸時代和本(明治刷)日本建築・宮大工・数寄屋建築技法書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 現代と刑事政策 (1970年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 ノックの音が (1965年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 社会史入門 (1972年)。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。【中古】 天皇さま (1975年)。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。四年の歳月が経過。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。【中古】 僑人の檻 (1968年)。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。新陰流 目録 古文書 検索 柳生新陰流 上泉信綱 武術書 剣術。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。【中古】 心経随喜 (1968年)。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 動物の生態 (1978年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 企業行動とコンフリクト (1972年) (企業行動コンファレンス報告 2 )。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。【中古】 社会福祉事業概論 (1964年) (社会福祉事業シリーズ)。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。【中古】 メディアの政治 (1974年)。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。【中古】 武器なき民衆の抵抗 その戦略論的アプローチ (1972年)。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 アルセーニエフの青春 (1975年) (エトランジェの文学)。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。【中古】 歴史・階級・人間 ジョン・ルイスへの回答 (1974年)。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 石油化学 今日から役立つ日経の産業知識・会社紹介 (1979年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 日本歌曲のうたい方 (1973年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ (1974年)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。》
《御こと(琴)ゝもゝ》・・・・すさましくて、みなひきこめられ、
院のうちの人ゝは、みな、ある限り、二條院に集ひまゐりて、この院には、
火を消ちたるやうにて、たゝ、女とちおはして。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。「人一人の御けはひなりけり」
とみゆ。【中古】 請求権競合論 (1978年)。女御の君も、わたり給ひて、もろともに、見たてまつりあつかひ給ふ。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。
「たゝにもおはしまさて、ものゝけなと、いとおそろしきを。【中古】 文章と表現 (1975年)。
早く参(まゐ)り給(たまひ)ね」
と、くるしき御心ちにも、きこえ給ふ。【中古】 歌舞伎の原像 (1974年)。わか宮の、いと、うつくしうておはしますを、
見たてまつり給ひても、いみしうな(泣)き給(たま)ひて、
「おとなひ給(たま)はんを、えみ(見)たてまつらすなりなむこと。【中古】 花粉学研究 (1978年)。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 大図説世界の木材 木と人間の文化誌 (1979年)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《源氏の君、紫の上の健康のご快復を願い加持祈祷をおさせになる》
《殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)のことが気になり、
(源氏の君)「どうしたものか」
と、あれこれお迷いになっては、女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)の御方には、
ほんのしばらくもお越しにならない。【中古】 相続・贈与の知恵 (1977年) (ゴマブックス)。
お琴などの》・・・・興味もすっかり冷めきってしまい、みな取り片づけられている。【中古】 ジョミニ・戦争概論 (1979年)。
六条院の内の人々はみなこぞって二条院に参上して、六条院では、火の消えたように
ただ御方々ばかりが残っていらっしゃって、そうなるとこれまでのはなやかさは
対の上(紫の上)お一人のご威勢であったのか、と思われる。【中古】 オトラント城綺譚 (1975年)。
女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)もお越しになって、
殿(源氏の君)とごいっしょにご看護申しあげていらっしゃる。【中古】 社会福祉論 (1974年) (社会福祉選書 2 )。
対の上(紫の上)は、妊娠中の女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)のお体を気遣い、
(紫の上)「普通のお体ではいらっしゃらないのに、物(もの)の怪(け)など憑(つ)いては
ほんとに恐ろしいことでございますから、すぐにお帰りあそばすよう」
と、対の上(紫の上)は、苦しいご気分のうちにもお申しあげになる。【中古】 教育の適切性 (1972年)。
女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)の若宮(東宮・皇太子)のほんとに
かわいくていらっしゃるのをごらんになるにつけても、対の上(紫の上)は、
ひどくお泣きになって、
(紫の上)「(東宮・皇太子)が大きくおなりになるのを拝見できないことになりますね。【中古】 美の思索家たち (1967年)。
私のことなぞ・・・・《忘れておしまいになるのでしょうね」
とおっしゃるので、女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)は涙のあふれるのを
抑えきれず悲しいお気持になっていらっしゃる。【中古】 総評二十年史 (1974年)。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。【中古】 SSーGB (1980年) (Hayakawa novels)。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。【中古】 日本労働市場分析 上 (1971年) (東大社会科学研究叢書 35 )。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
Music had lost all interest and koto and flute were put away.
Most of the Rokujo household moved to Nijo.
At Rokujo, where only women remained, it was as if the fires had gone out.
One saw how much of the old life had depended on a single lady.
The Akashi princess was at Genji's side.
"But whatever I have might take advantage of your condition,"
said Murasaki, weak though she was.
"Please go back immediately."
The princess's little children were with them, the prettiest children imaginable.
Murasaki looked at them and wept.
"I doubt that I shall be here to see you grow up.
I suppose you will forget all about me?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
琴已全无趣,那琴置一旁了。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。
六条院内的人,都集中在二条院。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。六条院内灯火也很少有,
住在里面的只有几个女人。【中古】 組織社会の論理構造 退出・告発・ロイヤルティ (1975年)。可里是全靠紫夫人一人而繁的。【中古】 矢臼別物語 連作版画 (1974年)。
明石女御也住二条院,与源氏共同看紫夫人。【中古】 ファシズムの時代 上 ヨーロッパ諸国のファシズム運動 1919-1945 (1972年)。紫夫人道:
“身上有孕,我里恐有鬼怪,于不利,快快回去。【中古】 憲法の階級性と普遍性 (1975年)。”
看幼小的公主得美可,不泪如雨下,道:
“我不能看大了!将来也不起我了。【中古】 参考図書の選び方 (1979年)。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。【中古】 現状打破の経営哲学 新時代の管理者像 (1969年)。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。【中古】 誰も書かなかった贈与税 あなただけの プラン (1979年) (税研ブックス)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 浦和のあゆみ (1974年)。
冬姫は通称。【中古】 学校教師論 教育の名著 (1975年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。2つとも貞子の印。【中古】 洋酒全書 (1975年)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【中古】 強制収容所における「生」 (1974年)。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。【中古】 仏教と社会の諸問題 (1970年)。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。【中古】 八面体質診断学 2 (1978年)。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。【中古】 ドイツ教育史 思想史的・社会史的考察 (1979年)。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【中古】 デシジョン・テーブル ─テーブル化による思考整理学 (1972年)。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 魚肉ねり製品 理論と応用 (1974年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―51B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 楽園からの最後の言葉 (1979年)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。【中古】 独占とマーケティング (1973年)。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 羅西日辞書 (1979年)。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 現代陶芸の旅 作家名鑑 (1971年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 東西文明の交流 1 漢とローマ (1970年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 教育的解釈学・国語教育論 (1973年) (国語教育名著選集 1 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 武道初心集 (1963年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 ワイマール共和制の成立 (1980年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 近代民衆教育史 国民教育への道 (1971年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 絵画の彼岸 (1975年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 日本現代舞踊年鑑 昭和49年度 (1975年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 高麗陶磁の研究 (1972年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 パック 高度生産性の秘密 (1970年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 日本の女性史 第5巻 維新開化と女性 (1975年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。太宰治全集 全 10 <ちくま文庫>。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 トランジスタ回路演習 (1968年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 風をたずさえて (1977年) (New music personal books)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 負けてたまるか! (1972年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 ステレオ 聴く人の創意とよろこび (1968年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。祇園祭礼信仰記 松永大膳 宝暦7年 中邑阿契 浄瑠璃歌舞伎 金閣寺 豊臣秀吉 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 解析入門 第2 (1969年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 有効競争の理論 (1970年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 女のいる群像 (1977年) (ハヤカワ・リテラチャー)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 現代詩人論 (1975年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 見果てぬ夢 5 燕よ、なぜ来ない (1978年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 自閉症の実践教育 (1974年) (心身障害教育シリーズ)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 日本人の体力標準値 (1975年)。幼名は多治丸。【中古】 ヨーロッパの闇と光 (1970年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 人間としてどう生きるか 運命のつくり主は自分である (1978年) (ナツメ選書)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 星と東方美術 (1971年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 音楽工学 (1969年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 事実としての法 (1969年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 トップの本音 利潤と社会責任のジレンマ (1978年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 屋良朝苗回顧録 (1977年)。
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