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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 原典による社会学の歩み (1974年) (原典による学術史)。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。【中古】 自由社会の経済学 (1974年)。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 ゲリラの朝 ポルトガル領アフリカ“解放区 ルポ (1975年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 新しい保守の論理 (1978年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 チェーホフ芸術の世界 覚醒と脱出へのいざない (1980年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 ギリシア神話の研究 神話の思考方法と時間様式 (1974年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。1932年 支那住宅志 大連現地刊行 満鉄調査会 図版 写真 検索⇒ 図譜 関東軍 満洲事変 中華民国 古建築 奉天 銭荘 洋行 銀票号 新京 老照片。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 体育の授業 日本の踊り (1975年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 駐独大使大島浩 (1979年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 青空の人たち (1969年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 生きて生きて生きて (1969年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 ドイツ共産党 上巻 1933-45年 (1974年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 海村生活の研究 (1975年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 恩讐の日本 (1972年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 自閉症児 (1975年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 秘武道 借力拳法 その思想と技法 (1980年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 音楽覚え書き帖 (1979年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近藤圭造訳述『兵要万国地理小誌』(全5巻6冊揃)明治9年 阪上半七刊 明治時代和本 古地図6枚入(彩色銅版画)明治初期の世界地理書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 仙術入門 (1973年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 航海辞典 (1970年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 教室の言語障害児 (1974年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。『遠州気賀 蓮照寺』(全2冊揃)江戸時代和本 静岡県浜松市北区細江町気賀の法華宗寺院「蓮照寺」御籤全100枚 おみくじ 占い 占書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 教育の理論と現実 教育科学の位置と反省 (1972年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 大銀山としての野辺沢銀山 (1964年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 ビッグな気分 いくつもの夜を超えて (1980年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 ふるさとの祭と行事 (1969年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 想い出のサンフランシスコ・想い出のパリ (1978年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 蒼穹と伽藍 (1974年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 ドイツ革命運動史 下 (1969年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 田中吉之介全集 (1975年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 寡占体制と労働組合 アメリカ自動車工業の資本と労働 (1970年)。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 生産価格の理論 (1968年)。第25帖。【中古】 映画・日常の実験 (1975年)。光源氏36歳の5月の話。【中古】 マルクス主義国家論 権力国家共同体の理論 (1974年)。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。【中古】 反対尋問の技術 (1975年)。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。北村季吟編『増山井四季之詞 全』寛文3年跋 戸倉屋喜兵衞板 江戸時代和本 連歌・俳句季語集 俳書。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。【中古】 ハンガリー文化史概要 (1969年)。その美しさにますます夢中になってしまう。【中古】 平安文化史論 (1968年)。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。『二十世紀西陣織物総覧』(前後編2冊揃) 平成13年 京都市染織試験場刊 実物布見本(実物裂)全40枚揃 京都西陣織 京都染織工芸品 川島織物。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。【中古】 日本の歴史 10 下剋上の時代 (1971年) (中公バックス)。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。【中古】 化学の技術史 (1980年)。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。【中古】 淳のしゃべりしにものぐるい サタデーバチョン (1975年)。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。【中古】 80年代のナショナリズム モスクワ・ベルリン・北京の旅から考える (1980年)。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 家庭学習100のポイント (1978年)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 多国籍企業の新展開 追いつめられる国家主権 (1973年)。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。【中古】 サンドロ・ボッティチェルリ (1977年)。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。【中古】 教育人間学 人間生成としての教育 (1961年)。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。【中古】 塚原琢哉による触覚的空間「白いあそび」 (1973年)。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。【中古】 エセーニンの生涯 (1974年)。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。【中古】 葡萄唐草 シルク・ロード幻想 (1968年)。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。【中古】 唐代の詩と散文 (1967年)。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。【中古】 かざし抄新注 (1973年)。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。【中古】 明治武道史 史料 (1971年)。」というものです。【中古】 多国籍企業の史的展開 植民地時代から1914年まで (1973年)。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。洗心洞箚記 2冊【上/下巻】+洗心洞箚記附録抄 金 計3冊セット 【蔵印有】。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 生きることの意味 (1978年) (人生の本)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。【中古】 日本機業史 (1961年)。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 詩心私語 (1973年) (人と思想)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 コイナさん談義 (1963年)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。フランシス・ブリンクリー著 中島幹事校正『語学独案内』(全3冊揃)明治29年 開新堂書店発兌 明治時代前期の英語教材。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 レーニン 1905年革命と帝国主義戦争 (1977年)。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 刑事鑑定の理論と実務 情状鑑定の科学化をめざして (1977年)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。【中古】 戦後革新勢力 史的過程の分析 (1966年)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 無盡藏 (1974年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。前橋、群馬郡、吾妻郡、周辺絵図。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 若い母親のために 喜びをもって生きる (1975年)。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。【中古】 この指とまれ、愛 (1977年) (レオ・ブックス)。》
《かゝること》・・・・よ(世)にはありけり、
と見な(慣)れ給はんそゆゝしきや」とのたま(宣)ふも、
こよなし、と、たい(対)の御かた(方)き(聞)き給はゝ、
心お(置)き給つへくなむ。【中古】 死と再生 神秘主義の原型 (1971年)。うへ(上)「心あさ(浅)けなる
人まねともは、み(見)るにもかたはらいたくこそ。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。
うつほのふちはら(藤原)の君のむすめこそ、
いとおもりかにはかはかしき人にて、あやまち(過)
なかめれと、すくよかにい(言)ひ出たることもしわさも、
女しき所なかめるそ、ひとやうなめる」と
のたま(宣)へは、「うつゝの人もさそあるへかめる。【中古】 デザイン・ポリシー 企業イメージの形成 (1964年) (デザインシリーズ)。
ひとひと(人々)しくたてたるおもむき(趣)こと(異)にて、
よ(良)きほと(程)にかま(構)へぬや。【中古】 耳をひらく 人間づくりの音楽教育 (1977年)。
よし(由)なからぬおや(親)の心とゝめて
お(生)ふし・・・・《たてたる人》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 みその本 (1972年)。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《紫の上と源氏の君が熊野の物語についてお話をされる》
《(源氏の君)「姫君(明石の姫君)の御前で、この色恋沙汰の物語などは読んで
お聞かせにならぬがよろしい。【中古】 多国籍企業と労働運動 新時代における労使関係 (1974年)。忍びに恋心を抱いている娘の話などは、
興味を持たれないにしても、こんなことが」・・・・・・《世間にはあるものだと、
それを普通のように思われたのでは大変なことです」
とおっしゃるにつけても、こうした大臣(源氏の君)のお心づかいを
西の対(たい)の御方(玉鬘の姫君)がお聞きになったら、自分に対しては
ずいぶん分け隔てのあるお扱いだと、気をおゆるしにならなくなるにちがいない。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。
紫の上は、
(紫の上)「いかにもあさはかに色恋沙汰をまねたりするのは、
はた目にも見るに堪えないものです。【中古】 ロシヤ思想家とヨーロッパ ロシヤ思想家のヨーロッパ文化批判 (1973年)。
そこへいくと、宇津保物語の藤原の君の娘となると、ほんとに分別があって
しっかりした人なので、まちがいはないようですけれども、
そっけない物言いや物腰も女らしいところがないようで、それもやはり
同じようによろしくはないように思われます」
とおっしゃるので、大臣(源氏の君)は、
(源氏の君)「実際の人間も、そういうことがいえそうです。【中古】 老人の家族生活 社会問題として (1974年)。
一人前にその人その人が違った主義をもっていて、
ちょうど具合よくはふるまえないのです。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。
たしなみのなくはない親がよく注意して育て
あげた娘の、・・・・・《こせつかずおおようなのがせめてもの育てがいであって、
そのほかはいろいろと足りないところが多いというのは、いったいどんな
しつけ方をして大事に育ててきたのかと、親のやりかたまで思いやられる》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 アメリカ近代経営史 (1972年)。
《Fireflies(蛍)》
"I would not of course offer the wanton ones as a model,"
replied Murasaki, "but I would have doubts too about the other sort.
Lady Ate miya in The Tale of the Hollow Tree, for Instance.
She is always very brisk and efficient and in control of things,
and she never makes mistakes; but there is something unwomanly
about her cool manner and clipped speech."
"I should imagine that it is in real life as in fiction.
We are all human and we all have our ways.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
无要,那就不得了!”
如此周到的,被玉鬘听到了,
一定得生女儿竟不同,因而自命薄。【中古】 日本現代教育史 (1969年) (教育学叢書 第1巻 )。
紫:“故事中所描写的那些浅薄女子,
只知模人,教人看了可可笑。【中古】 ノックの音が (1965年)。
只有《空穗物》中藤原君的女儿,人重直爽,
不犯失。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。然而分真,言行坦率,
不像女子模,也未免太偏差了。【中古】 俳画の美 蕪村・月渓 (1973年)。
”源氏答道:“不但小中如此,
世也有的人。前田慧雲『止舟斎詩鈔』(全五巻三冊揃) 昭和4年刊 浄土真宗本願寺派の僧の漢詩集 和本 伊勢国 三重県桑名市郷土資料。些女子自以是,
与人趣,道不得随机?
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。【中古】 社会史入門 (1972年)。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 大阪音楽文化史資料 昭和編 (1970年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 天皇さま (1975年)。
冬姫は通称。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 荒海からの生還 (1973年)。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。古文書 萬延聞書 安政7年 万延聞書 桜田門外ノ変 井伊大老 ざれ歌 辞世 (レターパックライト発送)。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 僑人の檻 (1968年)。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 論集日本語研究 9 敬語 (1978年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 経済発展と教育 現代教育改革の方向 (1963年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―17B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。【中古】 武器なき民衆の抵抗 その戦略論的アプローチ (1972年)。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。巻物 傳法灌頂三昧取戒作法 古書。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。【中古】 政治と文化 (1969年) (UP選書)。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。【中古】 竜馬がゆく 6 (1982年)。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。【中古】 請求権競合論 (1978年)。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。【中古】 いつのまにか雑貨屋さんになっていた (1977年)。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 教育の適切性 (1972年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 美の思索家たち (1967年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 総評二十年史 (1974年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 綴り方教授法・綴り方教授に関する教師の修養 (1973年) (教育の名著 7 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 無関心な人々の共謀 (1974年) (エトランジェの文学)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 失われし自我をもとめて (1970年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 政府刊行物概説 (1972年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 光学 上 (1967年) (物理学叢書 28 )。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 室内トレーニング 自己健康法 (1978年) (プレイブックス)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 現代アラブ文学選 (1974年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 企業の不法行為責任の研究 (1974年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 誰も書かなかった贈与税 あなただけの プラン (1979年) (税研ブックス)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 浦和のあゆみ (1974年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 学校教師論 教育の名著 (1975年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 諜報・工作 ラインハルト・ゲーレン回顧録 (1973年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 洋酒全書 (1975年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 強制収容所における「生」 (1974年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 仏教と社会の諸問題 (1970年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 八面体質診断学 2 (1978年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 ドイツ教育史 思想史的・社会史的考察 (1979年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 デシジョン・テーブル ─テーブル化による思考整理学 (1972年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 魚肉ねり製品 理論と応用 (1974年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 イメージとシンボル (1971年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。『大工雛形』(2冊)須原屋治右衛門板 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 木工雛形書。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 国籍と人権 (1975年)。幼名は多治丸。写本 御上洛二図 善悪道中独案内 嘉永2年 天理教 神道 儒学 仏教 徳川幕府 検)将軍 古書和書古本古文書 NS。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 民族と文化 上 (1970年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 国際政治 下 (1973年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 バラック浄土 (1982年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 アメリカ教育文化史 (1977年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 楽園からの最後の言葉 (1979年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 躾の時期。
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