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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4.2点
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したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 ギリシア神話の研究 神話の思考方法と時間様式 (1974年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 駐独大使大島浩 (1979年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 ドイツ共産党 上巻 1933-45年 (1974年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 自閉症児 (1975年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。近藤圭造訳述『兵要万国地理小誌』(全5巻6冊揃)明治9年 阪上半七刊 明治時代和本 古地図6枚入(彩色銅版画)明治初期の世界地理書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 教室の言語障害児 (1974年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 大銀山としての野辺沢銀山 (1964年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 想い出のサンフランシスコ・想い出のパリ (1978年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 田中吉之介全集 (1975年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 映画・日常の実験 (1975年)。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。北村季吟編『増山井四季之詞 全』寛文3年跋 戸倉屋喜兵衞板 江戸時代和本 連歌・俳句季語集 俳書。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。『二十世紀西陣織物総覧』(前後編2冊揃) 平成13年 京都市染織試験場刊 実物布見本(実物裂)全40枚揃 京都西陣織 京都染織工芸品 川島織物。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。【中古】 淳のしゃべりしにものぐるい サタデーバチョン (1975年)。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。【中古】 多国籍企業の新展開 追いつめられる国家主権 (1973年)。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。【中古】 塚原琢哉による触覚的空間「白いあそび」 (1973年)。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。【中古】 唐代の詩と散文 (1967年)。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 多国籍企業の史的展開 植民地時代から1914年まで (1973年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 日本機業史 (1961年)。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 直観・創造・学習 (1969年)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。【中古】 民選知事五代 県政支配の構図 (1978年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 無盡藏 (1974年)。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。木活字本(乱版)平田篤胤『出定笑語』(7冊=正編全4冊+附録全3冊)嘉永2年序刊 坐摩版/限定100部砕板(印記「佐久良東雄印)。
よそなからも、あ(明)けく(暮)れにつけて、よろつにおほ(思)しやり
とふらひきこ(聞)え給ふをたの(頼)みにて、すくいたま(給)ふ所なれは、
いま(今)めかしう心にくきさま(様)に、そはみうらみ給ふへきならねは、
こゝろ(心)やすけなり。【中古】 現代における経営の理念と特質 (1965年)。
何かとお心をくばり世話しておあげになるのを頼りとして暮していらっしゃる所である。【中古】 名灸穴の研究 (1978年)。
まず女御(にょうご)の君(花散里の姉・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御)に
対面申しあげなさって、西の妻・・・・・《戸に、ことさら夜の
更(ふ)けるのを待ってからお立ち寄りになる。【中古】 新日和見主義批判 (1973年)。
《Channel Buoys (澪標)》
《Then came the long rains of early summer to lay a pall
over things》… and bring a respite from his duties.
He roused himself for a visit.
Though she saw little of him, the lady was completely
dependent on him; but she was not of the modern sort,
given to outpourings of resent ment.
He knew that she would not make him uncomfortable.
Long neglected, her house now wore a weirdly ruinous aspect.
As usual, he first looked in on her sister, and
late in the night moved on to the lady's own rooms.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
寂寞无聊之,有一天他忽然想起了,便出去。【中古】 鹿のかげ筆 (1977年)。的屋子年来更加荒了,
住在那里想必凄凉。【中古】 社会史入門 (1972年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 明日への贈物 ジャン=ルイ・バロー自伝 (1975年)。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 僑人の檻 (1968年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 マネー・ゲーム 情報に賭ける社会 (1969年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 動物の生態 (1978年)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。【中古】 フルシチョフ最後の遺言 (1975年)。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―15B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。【中古】 物質特許の知識 (1975年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。『大工雛形』(2冊)須原屋治右衛門板 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 木工雛形書。幼名は多治丸。【中古】 民族と文化 上 (1970年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 アメリカ教育文化史 (1977年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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