【写真解説】より一部紹介
<撮影共通データ>
●レンズ V4×5リンホフスーノーテヒニカⅤ
●レンズフ ジノン75、F5.6 アンギュロン90、F6.8アンギュロン120、F6.8テッサー150)ほか
●フィルム RDフジクローム・デーライト RDPフジクローム・デーライト・プロフェッショナル ほか
●フィルター SL=スカイライトフィルター PL偏光フィルター ND=ニュートラルデンンティ
<カンチェンジュンガ山群>Kangchenjunga Region
カンチェンジュンガ主峰を起点として南西に延びる稜線上のヤルン・カン、カンパチェン、ジャヌーとそれにつづく峰々。ジョンサン・ラから南のシッキム国境上のランポ、ピラミッド、テント、ネパールの各ピークからカンチェンジュンガ主峰、さらに中央・南峰を経てタルン、カブルー北・南峰からラトン、コクトンの両ピーク。世界百名山 II: パキスタン・ヨーロッパアルプス他 白川義員作品。写真アルバム 松山市の昭和 愛媛県 樹林舎 2015 大型本 郷土本 郷土史 歴史 日本史 記録写真集。そこから南下してヌプチュー、シャルプーに及ぶ、この東側の山域がカンチェンジュンガ山群の範囲である。8000m峰4,7000m峰18を含む一大山群で、水系としてはタムール川上流のカンチェンジュンガ氷河とヤルン氷河が主な登路を提供している。初版 蒼空の視覚(3) 德永克彦。絶版 尾道…セピア色の記憶 過去と現在をゆく今昔散策。このカンチェンジュンガ氷河は多くの枝氷河を合流させながら北に曲がっていくが、私も右岸沿いに上下しながら左に折れる。やや小高くなったモレーンの上は絶好の展望台で、北にはジョンサン・ビーク、東方一帯にはピラミッド・ピークからテント・ピークが見え、南方には目的のカンチェンジュンガ山群の大パノラマがある。【直筆サイン本】竹俣紅 「夜明け前、紅さす。手前のツインズからの北稜が高まる所、カンチェンジュンガ主峰から右にヤルン・カン、カンバチェンなどの雄峰がずらり並んでいる。河野豊写真集 歴史の街道・歴史の町並 河野豊。渡辺義雄写真集 日本の塔 信仰とその象徴 毎日新聞社 本。カンパチェン部落からグンサ方面に戻り、対岸にジャヌー氷河の流入を見る辺りから取り付いた。登るにつれ、ジャヌー氷河の蛇行がしだいに顕著になってくる。日本の庭 (名園編・作庭編・素材編/全2冊セット)毎日新聞社 昭和50年 監修:重森三玲。c21a 白川義員作品集 永遠の日本 小学館。全山岩と氷に鎧われた山体が午後の陽を浴びるとき、それはまさしく“怪峰”の異名のままで、見る人をして畏怖せしめるに足る迫力に満ちていた。
※3月中旬4×5判150E6SL
ほか
<マカルー山群>Makalu Region
マカルー山群は通常、クーンブ・ヒマールに包括されるが、その東端にあってバルン・コーラの両岸にわたり、マカルー8481にを中心に、マカルーII,チョモ・レンソ、バルンツエ、チャムランなどの7000m峰4座,6000m峰10数座をかぞえる一大山群として独立した位置を占めている。【ゆうパック80サイズでのみ対応】澤田啓二 中国の記憶 1978-2009 写真集。ラダック曼荼羅 岩宮武二写真集/岩宮武二【写真撮影】。マカルーにはネパールの山の測量順位によるビーク」の名があるが、この流域のピークにはいまだに正式な呼称がなく、この順位によるピーク3からピーク7までの山、そのほかチャゴ、ペタンツェ、ピラミッド・ピーク、チョー・ポルなどが主要なピークとしてかぞえられる。
16 マカルー Makalu 8481m
世界第5位の高峰マカルーの初登項は1955年のフランス隊で、北面ルートによる全員登項という快挙であった。洋書◆上空から撮影したベルリン写真集 本 ドイツ 建築 風景 景色。【限定1000部/謹呈本/署名入】『白籏史朗写真集のTHE GREAT KARAKORAM 』/東京新聞出版局/1997年/二重函/Y12348/mm*24_8/74-03-1A。バルン谷4800mのベース・キャンプは、その長大なマカルー東南稜の全貌を展望するに絶好のアングルであり、同時に南西稜、南壁、西稜と3つのバリエーション・ルート、および壮大なマカルーのアイスフォールが一望される好位置にある。※4月下旬4×5150E6SL
ほか
<クーンブ・ヒマール ロールワリン・ヒマール>
Khumbu Himal,Rolwaling Himal
世界最高峰エベレストを中心とするクーンブ・ヒマールは、ドゥド・コシの上流とイムジヤ・コーラの源流一帯に位置する山群で、東はマカルー山群に接し、西はポーテ・コシでロールワリン・ヒマールと画されている。【洋書】【写真集】『OVER Europe』Jan Morris/1992年。竹内敏信日本列島「天地」/竹内敏信(著者)。一方、ロールワリンはタンパ・コシ上流のボーテ・コシとクーンプのポーテ・コシに挟まれるロールワリン・チューの南北に位置する山群で、メンルンツェ(ジョボ・ガル)とガウリサンカールの2つの7000m峰のほか、無数の6000m峰を擁して北に延び、ナンバ・ラでチョー・オューを通ってきたチベット国境に連結している。
25 クーンブ氷河とエベレスト Khumbu Glacier,Mt.Everest 8848m
カラ・パタール5545メートルから見下ろすクーンブ氷河と見上げるエベレスト、その左手にはチベット側のチャンツェも見える。東大寺 入江泰吉写真集/入江泰吉【著】。【謹呈本/署名入】『白川義員作品集 仏教伝来 全3冊揃』/学習研究社/1987年~/二重函/Y12404/mm*24_8/74-03-1A。クーンプ氷河が右に折れ、山ひだに挟まれて上昇した頂点がエベレストである。初登頂は1953年。広重の日本画を写真に納めた貴重な写真集です。もとよりイギリス隊で10度にわたる遠征の末、ヒラリーとシェルパのテンジンの2人が頂上を踏んだ。世界百名山 白川義員作品集(III) インド 中国ほか/白川義員(著者)。洋書◆スペインの最も美しい村の写真集 本 建築 風景 景色 教会。さらにインド、日本、日本女子、ニュージーランド、韓国その他、多くの隊がエベレストの登頂に成功している。ここゴーキョ・ピーク(5483m)から見るエベレストには、それら多くの隊が登ったルートを指摘することができる。新装版 土門拳自選作品集/世界文化社。白川義員 愛蔵版 世界百名山/白川義員【著】。笠雲浮かぶエベレストの右の山はヌプツェとローツェである。※11月下旬4×5600E6SL
27 ヌプツェ西面 Nuptse,West Face 7879m
ヌプフェは世界第26位の離峰で、エベレストのサウス・コルの南方、ローツェから西に大きく延びる稜線上にあり、7000m峰4座をもっている。写真集ネパールヒマラヤ/白籏史朗(著者)。洋書◆ハワイ写真集 本 集いの島 風景 景色 海 ビーチ。初登頂は1961年のイギリス隊で、第2登も同時になされた。1977年、登歩渓流会隊が挑戦したが、このカラ・バタールから見える北西峰(7745m)に登っただけで、これから東に連なる西峰(7795m)と主峰には至らなかった。写真集 三養荘/畑亮夫(その他)。われら地球人 三輪晃久写真集/三輪晃久【著】。※11月下旬4×5300,E6SL
29 ローツェ Lhotse 8511m
この山名も、ロー(南)ツェ(緑)、すなわちエベレストの南峰の意味である。これは1921年、イギリスのエベレスト隊が命名した。前田真三写真美術館 全巻セット/前田真三(著者)。洋書◆もう一つのローマ写真集 本 イタリア 風景 景色 建築。日本からは1973年、神奈川岳連隊が南壁からのアタックを試みたが雪崩や落石がひどく断念。1981年、ユーゴスラビア隊が南壁の壁には成功したが、登項には至っていない。愛蔵版 ふるさと写真館/北国新聞社。洋書◆アストゥリアス 風景写真集 本 スペイン 景色 自然。
11月中4×5430RDSL+PL
31 クーンブ氷河とプモ・リ Khumbu Glacier,Pumo Ri 7145m
プモ・リという山名は“乙女の峰”という意味で、1924年、エベレストで行方不明になったイギリス隊のマロリーが命名した。この山の初登頂は1962年のドイツ・スイス合同隊で、1953年、インド隊が試みて失敗したリントレンのコルから、北東稜を忠実にたどって頂上に立った。洋書◆ドイツ写真集 本 建築 インテリア 風景 景色 庭園 古城 宮殿。法隆寺 入江泰吉写真集/入江泰吉【著】。クーンブ氷河のセラックの間からは、7000mを超えているとはとうてい思えないほど間近に、プモ・リの南東面が見上げられた。※11月下旬4×5判180E6SL
33 アマ・ダブラム Ama Dablam 6856m
“巨人の牙”と別名があるアマ・ダブラムの最も典型的な山容を眺めるには、タンポチェがよい。【謹呈本/署名入】『白籏史郎 THE KARAKORAM Mountains of Pakistan 創立60周年記念出版』/山と溪谷社/1990年/Y12372/mm*24_7/74-03-1A。洋書◆タイ写真集 本 王国の7日間 文化 風景 景色。標高は7000mに足らないのにこの山が有名なのは、この独特で悪絶な山容と、イムジヤ・コーラ沿いのどこからでも見ることができる故であろう。アマ・ダブラムとは“母の首飾り”という意味をもち、初登頂はイギリス。ドアノー写真集 パリ遊歩 1932-1982 ロベール・ドアノー。洋書◆風景写真集 本 自然 景色 並外れた光。1980年秋、日本のイエティ同人隊が北東壁に挑み、見事これに成功している。
39 ヒマラヤひだの無名峰 Unnamed Peak 6430m,ChhukhungGlacier
アマ・ダブラムから東につづく稜線はアンプ・ラブツァからバルンツェにつづいているが、この間、7つの6000m峰がある。Classical Chinese Gardens 中国園林芸術 1984年 <ゆうパック>。洋書◆フランスの美しい村の写真集 本 風景 景色 建物。最後の6840m峰を除き、ほかの5つの峰はアマ・タブラム氷河に隣接するチュクン氷河の源頭の峰で、そのヒマラヤひだの美しさはヒマラヤ中随一といってよい。この6430m峰はほかの峰々に比べ標高差があるので、ことに美しい眺めだ。ボッシュ≪黄昏の叙情≫パステル。☆坂本万七遺作写真集 沖縄 ・ 昭和10年代 新星図書出版 発行 【沖縄・琉球・歴史・文化】。このカンテガから東北東に延びる稜線が、北から北西に転じてアマ・ダブラムに接続する間には6000m峰が数峰あるが、それらはすべて無名峰である。ペリチェから上流に進み、ドゥグラを過ぎる辺りから、それらの無名峰が前山の上に頭をのぞかせてくる。激レア☆黄山神韻―汪蕪生 山水写真集。k15-032 森は生きている THE LIVING FOREST 神垣の里の四季 大和山出版社。※11月中旬4×5判210E6SL
41 チョ・オユー Cho Oyu 8153m
ドゥド・コシの源流である長大なゴジュンバ氷河の最奥所に、ゴジュンバ・カン、ギャチュン・カンとともに東西に連なる8000m峰である。“トルコ玉の女神”という美しい山名であるが、ゴーキョから見る山体は堂々として“青い巨人”の方がふさわしい。KK121-020 [洋書]INDUSTRIAL LANDSCAPES 著者/BERND AND HILLA BECHER 発行/THE MIT PRESS 2002年 ※汚れ有。生誕100年記念 アンセル・アダムズ写真集成 岩波書店【ac04】。この山では同年、女性として当時の最高到達記録(7803m)をつくったフランスのコーガン夫人が、翌年再度の挑戦中、雪崩により遭難死している。※11月下旬4×5判300E6SL+PL
42 ギャチュン・カン Gyachung Kang 7922m
チョー・オユーとゴジュンバ・カンにつづいてチベットとの国境稜線に並ぶギャチュン・カンは、日本人によって初登頂された山である。遥かなる津軽 加藤惣平写真集 / 73001。『 東京画 』稲越功一 用美社。このギャチュン・カンという山名の意味は“100の小川の源となっている大きな恵みの山”という長いものだという。荒々しい岩肌を露出させた山容にそぐわないようにも思える。k13-339 素晴らしい自然を写す 朝日新聞社。k13-343 根釧原野 長谷川幸一 岩松健夫 北川玲三 1983年5月1日第1刷発行 桐原書店。※11月下旬4×5判400E6SL+PL
43 メンルンツェ Menlungtse 7181m
メンルンツェは別名ジョボ・ガルといい、ロールワリン・ヒマール中の最高峰であるが、チベット領にあるため登山はできず、したがってまだ未踏峰である。すばらしい重量感、美しい雪壁、このメンルンツェの展望台としては、マンルン・ラが第一等地だ。n14c 太陽の鉛筆 沖縄・海と空と島と人びと・そして東南アジアへ 東松照明 写真集。白川義員作品集 世界百名山 全3冊揃(大型本)+サイン本2冊 YDF767。※5月下旬4×5判240E6SL+PL
44 ガウリサンカール ガウリンシャンカール Gaurisankar 7146m
一時、この山は世界最高峰だと信じられていた。メンルンツェに次ぐ2つ目の7000m峰でロールワリン・ヒマールのあとの山々はみな6000m峰となる。希少! 大型本 写真集 『 山田脩二 日本村 1969-79 』 磯崎新・大辻清司・篠山紀信 他/著 三省堂。写■ 佐内正史 MASAFUMI SANAI Message メッセージ 平凡社 写真集。悪天候の中をシムガオンから登って下りた小さなカルカに幕営する。日没寸前に雲が切れ、ガウリサンカール南壁が見えた。内山りゅう 大山椒魚 Giant salamander 2003年第1刷 ビブロス◆6*7。社船写真集。※5月下旬4×5判300E6SL+PL
ほか
<ジュガール・ヒマール ランタン・ヒマール ガネッシュ・ヒマール>
Jugal Himal , Langtang Himal , Ganesh Himal
ジュガール・ヒマールと一般に呼称されている山は、レンポ・ガン、ドルジェ・ラクバ、グル・カルポ・リ、マディヤ・ピーク、ギャルツェン・ピークほかの、大体ランタン・コーラ左岸の山々である。しかし、これらはランタン・リルンを最高峰として、ランタン・リ、キュンカ・リ、サルバチュム、ペンタン・リほかの山々と同様、チベット領シシャ・パンマを主峰とするランタン・ヒマールに含められるものである。肉筆サイン本■星野道夫■風のような物語■1991年初版■署名本■大判写真集。U1215★国際多肉植物協会 多肉植物写真集 1~2巻 計2冊 12/19★A。主峰からV峰までがすでに登られているが、主峰を除いてすべて近年である。また、チリメ・コーラが中国との国境に修正されたので、南面からの入山は面倒となった。■絶版★まぼろし国・満洲★江成 常夫★写真集★海外★風景★景色★中国■。毎日新聞創刊 東海の四季 京の四季 信州の四季 武蔵野の四季 北国の四季 九州の四季 6冊 写真集 作品集 本 現代写真 土門拳など z7570o。この山域にはマナスルを最高峰に、ピーク29、ヒマルチュリがあって、日本人はこれをマナスル三山と言い習わしている。ほかにマナスルの北峰、ヒマルチュリの北峰と西峰が7000m以上の高度をもつ。タージ・マハール 岩波書店。【写真集】吉野信 自然美術館(直筆サイン入り)。パン・プチはクータン・ヒマールの北西に連なる峰で標高は不明だが、このほかにも位置。高度など、同定されていないピークがまだ残っている。3-◇ 盛岡案内 大正15年 1926年 7月 盛岡市役所 写真帖 写真集 戦前 希少 岩手県庁 県立図書館 騎兵第三旅団 工兵第八大隊 停車場 学校。RR-7664■送料込■東京 大正博覧会写真帖 正門 噴水塔 音楽堂 水産館 博物館 農業館 染織別館 本 写真 冊子 古書 印刷物 大正3年/くOKら。
66 マナスル、ピーク29、ヒマルチュリManaslu 8156m,Peak 29 7835m,Himalchuli 7893m
どちらかというとほかの山群は東西の走向であるのに対し、マナスル山群のみ完全な南北走向である。このマナスル、ピーク29、ヒマルチュリは高度もさほど違わず、山体の大きさも同程度なので、並列を見ると本当に○○三山といった感じである。写真集 英国貴族の城館/増田彰久(著者),中島智章。山の意匠 田淵行男写真集 朝日新聞社 昭和46年発行 【d80-787/】。ここはアンナプルナ山群とマナスル三山の大展望がある所。ネパール特有の段々畑や民家を前景に置いて、そのかなたに雪山が連続する。日本の灯台 流氷の海から珊瑚礁の海へ/山崎猛(著者)。52660/フトマニクシロ ランドスケープ 建國の原像を問う 写真家集団Phenomena 能勢伊勢雄 水声社 岡茂毅 木村匡孝 柴田聖子 遊神 森美樹。*12月上旬4×5150E6SL+PL
<アンナプルナ・ヒマール>
AnnapurnaHimal
人類初の8000に峰登頂でヒマラヤ登山の幕を明けたアンナプルナ山群は、3つの8000mの頂をもつⅠ峰を頭に、II峰からIV峰と南峰、ファング、ロック・ノアール、ガンガブルナ、グレイシャー・ドーム、ティリツォ・ヒマール、ニルギリの3つの峰、マチャプチャレ、ラムジュン・ヒマールほか、無数のピークで構成されている。その範囲は北のマナン谷。生誕100年記念 アンセル・アダムズ写真集成 岩波書店 ANSEL ADAMS ジョン・シャーカフスキー 原信田実 函入 大型本 登山 アウトドア ■B113。□ D119 □ 中古本 水平線採集 山崎博 写真集 1989年 売上カード入。西のカリ・ガンダキ、そして南はポカラの北東で線を引く広大なものである。早くから開かれたため、すでにめぼしい未踏峰はないが、いまなお多くの登山隊を迎えていることは、この山群の魅力を示すものである。Americans1.0 1994LosAngels/五味彬。大型本白旗史朗カラコラム白籏史朗カラコルム山岳写真集 解説101点K2ガッシャブルムナンガパルバットブロードピークカテドラルトランゴ山群。
80 アンナプルナⅠ峰と南峰 Annapurna18091m,Annapurna South 7219m
アンナプルナという山名は、サンスクリット語で“豊穣の女神”の意味をもつ語だという。それかあらぬか、ポカラ一帯から展望するアンナプルナ山群には、山麓の風景と融け合って、どこか豊かさが感じられる。Glp_376723 森山大道 記録 No.13~No.17 森山大道.著。m15d サイン入◆山の紋章 雪形 田淵行男 写真集。Ⅰ峰の初登頂はフランスのモーリス・エルゾーグらによる1950年6月3日、人類初の8000m峰登頂である。南峰は1964年、京都大学隊がアンナプルナ内院からアタックし、初登頂を飾った。Glp_376724 森山大道 記録 No.18~No.21 森山大道.著/A・ステュルマン.翻訳。禅 求道者 森谷洋至写真集 署名入り 淡交社 1998年 【74】。ツロブギンから間近に仰ぐ山姿はさらに圧倒する鋭さをもって迫ってくるが、これらのアングルはすべて南峰(6839m)で、最高峰である北峰はその陰に隠されていて見ることができない。ここアルバリからは北峰、南峰に加えて中央峰(6940)が、左から右へ、ずらり並立する展望がある。洋書◆上空から撮影したスイス写真集 本 風景 景色 自然。2B2-5 (山の意匠 田淵行男写真集) 函付 写真集 朝日新聞社 風景 田淵行男。※12月上旬4×5判300RDSL
93 マチャプチャレ Machhapuchhare 6993m
ポカラ一帯から眺めるマチャプチャレは、アンナプルナ山群の中央にあって、7000mに満たない山とはとても思えない威容を誇っている。ここアンナプルナ内院上部4500mからのマチャプチャレは、その上に端麗さを加えて、世界の名峰の名に恥じない山容である。【ARS書店】『Caravans of the Himalaya』ヒマラヤで、砂漠などを隊を組んで通行する商人の集団・発行:Natl Geographic SocietyS。【洋書】Autrefois la FRANCE。1957年6月2日である。地元民の信仰の山であるため、約束によって頂上直下50mで引き返したが、初登頂と見なされている。写真集 風景 高橋真澄。木村伊兵衛写真集・パリ/日本写真家協会初代会長・ライカを駆使し対象をリアルにとらえるスナップ的手法を確立・肖像写真や報道写真で注目。山群の盟主ダウラギリ1峰の8167mを筆頭に、II峰一VI峰、チューレン・ヒマール、プタ・ヒウンチュリ、グルジャ・ヒマールなど、9つの7000m峰があり、6000に峰にいたっては20数峰がかぞえられる。ダウラギリⅠ峰とトゥクチエ・ピークをつなぎ北東・南西に延びる山稜、シータ・チュチュラからII峰以下の各峰とプタ・ヒウンチュリをつないで東西に走る山脈に大別され、この間を南-南東に向かって流下するツゥロ、ミャグディ、ドゥラ、南西から西に向かうカペ、ドガリなどの水系がある。洋書◆ケンブリッジ写真集 本 イギリス 英国 大学 風景 景色 建築。洋書◆アンセル・アダムス写真集 ヨセミテと光の山脈 本 自然 風景 景色。3番目の村はシカ・パラテ、そしてシカの村へと下りはなおもつづいていく。シカはパラテのほか、デオラリ、ウーポルロ、トロと冠する4つの集落で構成されていて、いずれの集落からもダウラギリ方面の展望が欲しいままにできる。洋書◆ヴァッハウ写真集 本 オーストリア 風景 景色 建物 自然。土門拳 風景 総原色図版写真集 矢来書院 118ページ 昭和53年8月10日発行。山国ネパールの雰囲気を見事に、余すところなく表している。※11月中旬4×5240、RDPSL
ほか
<西ネパールの山々>
West Nepal
西ネパールで最も知られた山はアピ、ナンパ、サイパルである。岡田紅陽 私的 写真集 写真 12枚 和田英作先生へ 直筆署名入り この世に1つしかありません。最高峰はアピの7132mであり、第2位はサイパルの7031mである。モンゴル 写真集 洋書 英語 文化 風景 トラベル Mongolia 自然 歴史。題名:日本の山河 作者:緑川 洋一 出版社:矢来書院 サイズ:370×268×32 215ページ 発行日:昭和50年11月10 風景写真集 総原色図版。アピとナンパは最も西に位置し、次いでサイパル、カンジロバの順になるが、各山群の間は大きく離れている上、山群そのものもダウラギリ以東の各ヒマールに比べるとまことに小さい。しかし、アプローチははるかに長く、ルートも判然としない上、キャラバン出発地までの交通事情、食料事情も悪く、ポーターも少なく、質が悪い。洋書◆フィレンツェとトスカーナ地方写真集 本 イタリア 風景 景色 建物。EIJUN 永順 野の花の旅から 西オーストラリアに魅せられて 写真とエッセイ 著者 高橋永順 中央公論新社 2000年 初版 カバー付 2501-007M。
108 アピ Api 7132m
チャムリア・コーラ沿いに高巻きやトラバース、渡橋を繰り返してグサ・マルマを過ぎる。グサから奥も上下がつづくが、道はやがてチャムリアの源流帯に下りる。洋書◆上空から撮影したパリの写真集 本 PARIS フランス 風景 建築 景色。J04-022 岩田孝八写真集 ゆるやかな時間 非売品。なにしろびっしりとルートをふさぐ竹や大人の太ももほどもある立木をククリ(山刀)で切り開いての行進なのである。初登頂は1960年春,同志社大学山岳会隊が北面からアタック、成功した。Fremantle Life In The PortCity 英語版 Roger Garwo。H11-063 日本の国立公園 学研。※2月上旬4×5400E6SL
ほか
【ネパール・ヒマラヤ取材記】より一部紹介
不便な交通事情
ネパール・ヒマラヤの全域撮影という、いま振り返ってみれば無謀にも思える計画を立てたのは、もう数年が過ぎたヨーロッパ・アルプス取材のときだった。広いといっても、たかが北海道の2倍程度の面積しかないネパールの国土、ヒマラヤはそのうちの一部ではないか、と考えたのがそもそものまちがいの始まりであった。洋書◆ワシントン写真集 本 アメリカ 風景 景色 ジーン・クロード・シュアレス。木村伊兵衛のパリ/木村伊兵衛【著】。
その最大のネックは交通である。ネパールの首都カトマンドゥから、第2の都ポカラとの間に車のかよう道路ができたのが5年足らず前、現在、各地で道路建設がさかんにおこなわれているとはいっても、日本や他の国々のような機械力にはよらず、すべて人力に頼るこの国の工事では、ネパール全土に車道が行き渡るのは、どう少なく見積もっても100年以上かかるだろうと思われるスローモーぶりである。J19-063 立山・黒部のすべて スタンプ捺印あり、発行年月日不明。★ マッターホルンパノラマ写真 エミールシュルテス Emil Schulthess 1974年9月撮影 ★。だが、そうした車を利用できる所でも、東部のカンチェンジュンガやマカルーは、そこからやっと山が見えるという場所までも15日以上、ベース・キャンプまでは20日間以上のキャラバンが必要とされるのである。(以下略)
【あとがき】
3年間にわたるネパール・ヒマラヤの撮影取材もどうやら無事に終わった。洋書◆ヨルダン写真集 本 四季折々の土地 自然 風景 景色。気骨 われらが父、われらが祖父。 Bushido in Business 細江英公人間写真集 細江英公/著。洋書◆ルクセンブルク写真集 本 シティ 風景 景色 建物。もっとも3年間といっても、実際は2年と6ヵ月の間に取材は終了し、そのうち、ネパール滞在は正味18ヵ月、560日足らずである。つまり1年半ネパールで暮らし、1年は日本にいたことになる。写真集 The Folk/西村裕介(著者)。k09-287 遙かなるバルビゾン ある写真家の眼 ポール・ハフ/ジョン・シルヴィズBACK TO BARBIZON。いきおい時間が足らなくなり、時間に追われることになったため、あっという間に過ぎてしまったと感ずるのだろう。それにしても、ネパールの東から西のはずれまで、くまなくとまではいえないまでも、そのほとんどを自分の足で歩きとおすことができたのはまたとない体験となった。H23-002 世界の秘境 日本通信教育連盟 3冊セット 箱カバーに汚れ傷角破れ多数あり。。どうしても入ることのできない地域もあったが、それはネパールの内政事情によるもので、そうした地域が、ヒマラヤとあまり関係ない場所であったことも好運であった。シッキムと境を接するカンチェンジュンガ山域から、ガルワールに至るアピ山域まで、グレート・ヒマラヤの谷に沿い、尾根を越え、縦横に歩いた距離は、およそ12000kmにも達するもので、これはネパールの首都カトマンドゥから東京を直線で結んだ距離の約2倍に相当する。白川義員作品集 悠久の山河 白川義員。世界百名山 白川義員作品集(Ⅰ) 白川義員。キャラバンに雇用するポーターも少ないときで10人、多いときは50人にものぼった。シェルバも同様で、奥地に深く入る必要があればあるだけ食料や装備がかさみ、ポーターの数が増え、それを管理し、高所への荷上げのためにシェルパも多くなるのである。写真アルバム 松山市の昭和 愛媛県 樹林舎 2015 大型本 郷土本 郷土史 歴史 日本史 記録写真集。「Golf Courses: Fairways of the World」写真集 英語 Hardcover Cannon, David; Rizzoli 6000部限定版 41.5x31cm 264p RXM24FU2-2yp。こうした中で、カメラとフィルムの携行・運搬にもっとも気を遣わされた。フィルムは熱を加えないようにするため断熱材で梱包、休憩時は日陰に置くよう申し渡しても、監視のシェルパさえすぐに忘れてしまうし、これらの機材・フィルムを最優先で強いポーターに背負わせることさえままならなかった。絶版 尾道…セピア色の記憶 過去と現在をゆく今昔散策。★初版 『 里山は未来の風景(全4巻セット) 』 今森光彦 金の星社。(以下略)